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日本鋳金家協会に伝わる『銀盃』について 〜 会の創立から108年目を迎えて 〜

日本鋳金家協会の前身である「東京鋳金會」の創立は、明治40年(1907)のことでした。昭和21年(1946)には、名称を「鋳金家協会」に、さらに平成10年(1998)には「日本鋳金家協会」と改称しました。今年(2015)は、創立から108年目を迎えたことになります。本会には、新年総会の宴席で必ず使う、径一尺の『銀盃』が伝わっています。盃の盃側に、多くの先輩方のお名前が刻まれていることに、ご興味をお持ちになった会員の皆様も多いことでしょう。 明治から昭和にかけて活躍された、日本の鋳金家のお名前とその筆跡が集まっていることに大変貴重な歴史を感じます。今回はこの銀盃を詳しくご紹介いたします。

「 吾等乃寿まさに百歳にいたらむ新年会の席上この大白を回飲して以て聖代を祝ひ 」 と、香取秀真(ほつま)氏の書があり、昭和6年(1931)4月の日付けがあります。現在まで実に84年にもわたって伝えられて来たことになります。銀盃に刻まれているのは、表に2名、裏に22名の合計24名。  最高齢は、安政5年(1858)生まれの大島如雲(じょうん)氏の75歳時の刻銘(昭和7年・1932)。最も新しい刻銘は、明治23年(1893)生まれの渡辺紫鳳氏が、昭和40年(1965年)に72歳を刻んだものです。恐らく刻銘は、本人が宴席で短冊に書き、それを銀盃に貼って彫りの職人が刻んだものでしょう。見事な彫りタガネの仕事です。

 

左:新年の宴席で使われる 『 銀盃 』 乾盃する日本鋳金家協会 後藤信夫会長(撮影当時・現顧問)。(2011年1月29日撮影)

右:『 銀盃 』を納める木箱 木箱も当時のもので、表面に「東京鋳金會」の文字、裏面には由来が書かれています。

 

盃側に刻まれた文字 。

左:『 東京鑄金會 』「大島如雲」の文字が見える。

右:左から、「津田信夫」「渡邉長男」「香取正彦」「香取秀真」などの名前が見える。

 

左: 銀盃 刻銘見取り図  裏面・表面

右:『 木箱裏面の箱書き 』 香取秀真(ほつま)氏による書。「神明町」は今の東京・神田明神界隈で、かつては「神田花街」と呼ばれた高級料亭街でした。

※ 以下、刻名を年代順に並べ替え、西暦も付記しました。

— 昭和七年(1932) —

東京鋳金會

大島如雲 安政五年二月生(1858) 七十五歳

野上龍起 慶應元年五月生(1865) 六十八歳

和泉整乗 慶應貳年一月六日生(1866) 六十七歳

細谷嶺湖 明治元年四月生(1868) 六十五歳

佐藤如湖 明治貳年十月生(1869) 六十四歳

加納晴雲 明治四年九月生(1871) 六十二歳

— 昭和九年(1934) —

香取秀真 明治七年一月一日生(1874) 六十一歳

渡邉長男 明治七年四月二日生(1874) 六十一歳

— 昭和十年(1935) —

津田信夫 明治八年十月生(1875) 六十又一

市橋栄露(?) 明治八年四月生(1875) 六十二歳

— 昭和十二年(1937) ー

小林如秀 明治十年十月十日生(1879) 六十一歳

— 昭和十三年(1938) —

安部胤齋 明治十一年十二月三日生(1880) 六十一歳

土方義則 明治十一年四月生(1880) 六十一歳

— 昭和十五年(1940) —

紀元二千六百年式典祝日

加藤龍雄 明治十三年二月十八日(1880) 六十有一

— 昭和十七年(1942) —

山口浄雄 明治十四巳年三月三日生(1881) 六十一歳

— 昭和十九年(1944) —

大峡武司 明治十六年七月生(1883) 六十一歳

梅村豊舟 還暦 昭和十九年二月一日刻

松原如方 明治九年四月生(1876) 六十一歳

— 昭和二十八年(1953) —

古稀 橋本正??? 明治十七年三月一日生(1884)

昭和二十八年二月十二日総会之日刻

高村豊周(1890生まれ)

内藤春治(1895生まれ)

— 昭和三十四年(1959) —

香取正彦 明治三十二年一月十五日生(1899)

昭和三十四年 還暦

丸谷端堂 明治丗三年五月生(1900) 六十一才

— 昭和四十年(1965) —

渡辺紫鳳 明治廿六年七月生(1893) 七十二才

 

原稿:小林京和 再編集:松本隆